「コーヒーで脱水する」は思い込みだった、その根拠とは
登山教室をしていると、
必ずと言っていいほど
聞かれる質問があります。
「先生、山でコーヒー飲んでも大丈夫ですか。
脱水するって聞いたことあるんですけど」
というものです。
私も臨床検査技師として働いていた頃は、
なんとなく
「カフェインには利尿作用があるから、
水分補給の代わりにはならない」という説明を、
当たり前のように受け入れていました。
でも――近年の研究データを改めて確認してみると、
どうもそう単純な話ではないらしい‥‥
今日は、この「コーヒー脱水説」について、
私が調べた一次データをもとに、
ゆっくりお話ししてみたいと思います。
【衝撃だった、あるデータ】
2014年、イギリスのバーミンガム大学の研究チームが、
興味深い論文をPLOS ONEという学術誌に発表しました。
Killer, Blannin, Jeukendrup
という研究者らによる研究で、
日常的にコーヒーを飲む習慣がある人たちを対象に、
コーヒーを飲んだときと同じ量の水を飲んだときとで、
体の水分状態にどれくらい差が
出るのかを比較検証したものです。
結果を見て、
私は正直「あ、そうだったのか」
と声が漏れました。
コーヒーを摂取したときの
24時間の平均排尿量は2,409ミリリットル、
水を摂取したときは2,428ミリリットル。
その差、わずか19ミリリットルです。
統計的に見ても、有意な差はありませんでした。
つまり、
普段からコーヒーを飲んでいる人にとっては、
コーヒーも水も、体から出ていく水分量に
ほとんど差がなかった、ということになります。
「コーヒーを飲むとトイレが近くなって脱水する」
という長年の通説が、
少なくとも日常的な飲用の範囲では、
科学的に支持されなかったわけです。
【なぜ、こんな誤解が広まったのか】
でも――ここで一つ、
疑問が湧いてきますよね。
「じゃあ、なぜみんな脱水すると
思い込んでいたんだろう」と。
これには、実は理由があります。
過去にカフェインの利尿作用を示した研究の多くは、
実験の条件がかなり特殊でした。
参加者に数日間カフェインを完全に断ってもらってから、
一度に500〜600ミリグラムという、
コーヒーにして5〜6杯分に相当する量を
一気に摂取させる、
という設計だったんです。
普段まったくカフェインを摂っていない体に、
突然大量のカフェインが入ってくる。
これは体にとって、かなり非日常的な出来事です。
だから利尿作用が強く出た。
ところが、私たちが日常的にコーヒーを
1日3〜4杯くらい飲んでいる場合、
体はすでにカフェインに対する
耐性のようなものを持っています。
それに、コーヒー自体にも水分が
しっかり含まれていますから、
多少の利尿作用があったとしても、
それが相殺されてしまう。
「普段飲んでいる量なら大丈夫。
でも急に大量に摂ると話は別」
ということなんですよね。
これ、案外知られていない部分だと思います。
【例外もある、というのが誠実な話】
とはいえ、
このデータを鵜呑みにして
「コーヒーさえあれば水はいらない」
と考えるのは、少し早計です。
この論文、実は資金提供元が
ISIC(コーヒーに関する科学情報機構)という、
コーヒー業界の団体だったという背景があります。
だから研究の質が低いというわけではありませんが、
こうした事実は正直にお伝えしておきたいと思います。
それに、Armstrongらによる2002年の研究では、
400ミリグラム以上という高用量の
カフェインでは利尿作用が確認されていますし、
Maughanらによる2003年の研究では、
運動時や暑い環境下ではカフェインの
利尿作用がより強く出る可能性が指摘されています。
ここで、私が登山ガイドとして一番気になるのが、
この「運動中・発汗時はどうなのか」という論点です。
【山という特殊な環境で考えること】
普段のオフィスや自宅でコーヒーを飲むのと、
汗をかきながら斜面を登っているときに
コーヒーを飲むのとでは、体の状態がまるで違います。
運動中は発汗によってすでに
水分が失われている状態です。
そこにカフェインが加わったとき、
コーヒー自体に含まれる水分による相殺効果が、
発汗による水分喪失の速さに追いつくかどうか。
これはまだ、はっきりとした
コンセンサスがあるとは言えません。
一方で、Ganioらによる2007年の研究のように、
適度なカフェインが運動パフォーマンスの
向上に寄与するという報告もあります。
集中力が高まったり、
疲労感が軽減されたりする効果ですね。
登山中に一杯のコーヒーが、
気分転換や集中力の維持に役立つ、
という経験は、私自身も何度もしています。
それでも、私が実践的に伝えたいのはこういうことです。
普段からコーヒーを飲む習慣がある方が、
登山中に1〜2杯程度楽しむ分には、
水分補給の妨げになるという
心配はしなくていいと思います。
休憩中に飲む温かい一杯は、
体も心もほっとさせてくれますし、
それ自体が悪いことでは決してありません。
ただし、真夏の炎天下での長時間登山、
発汗量が多くなる状況では、コーヒーに頼らず、
水を基本の水分補給として考える。
この判断は変えるべきではないと思っています。
カフェイン代謝には遺伝子多型による個人差もありますから、
「自分は大丈夫」
と過信しすぎない慎重さも必要です。
【正しく知って、コーヒーを楽しんでほしい】
「コーヒーは脱水する」という思い込みだけで、
山での楽しみを一つ諦めてしまうのは、
なんだかもったいない気がします。
登山中、休憩地点で淹れたてのコーヒーの香りが広がる瞬間。
あれは、山歩きの疲れをふっと和らげてくれる、
ちょっとした幸せの時間だと思うんです。
正しい知識を持っていれば、
その時間を安心して味わうことができます。
科学は少しずつ、私たちが当たり前
と思っていたことをひっくり返していきます。
今回のコーヒーの話も、その一つでした。
もし、山でのコーヒーの飲み方や、
体調管理について詳しく知りたい
という方がいらっしゃれば、
私が開いている登山教室でも
直接お話ししていますので、
よかったら一度足を運んでみてください。

